【名古屋市】文化のみち②旧豊田佐助邸
「文化のみち➀旧川上貞奴邸」に引き続き、同じく名古屋市東区の「文化のみちエリア」にある旧豊田佐助邸へ行ってきました。
ここはトヨタグループ創始者である豊田佐吉氏の弟、豊田佐助氏が大正12年(1923)に建てた木造2階建の洋館・和館からなる和洋折衷型の建物です。
名古屋市が所有者から借りて、一般公開しています。
館内に「名古屋市居住者全図(昭和8年)」という地図が飾られているのですが、この「文化のみち」一帯には当時、豊田佐吉、豊田利三郎、豊田喜一郎といった豊田家の人々が住んでいたようです。
現在残っている建物はこの旧豊田佐助邸のみになります。
そんな和洋折衷のこの建物ですが
そもそも和洋折衷型の建物とは....
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和洋折衷建築(わようせっちゅうけんちく)とは、近代日本において建てられた和風建築と洋風建築の要素を意図的に折衷した建物。 幕末の横浜にルーツを持つと言われ、明治維新後に日本各地で建築された。 文明的とされた洋風建築の要素と伝統的なステータスの象徴であった和風建築の要素の双方を組み合わせたところに特徴がある。(Wikipediaより参照)
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ということだそうです。
↑の写真をみると白いタイルの洋館が目立つけど西側に和館がくっついて建ってます。
同じ文化のみちエリアにある撞木館や桑名の六華苑と同じようなタイプ。
こういうタイプって一見すると「和洋折衷」というよりは洋館と和館が別々になっている「和洋並立」に見えますが、実際見学してみると和館の中に洋風の要素があったり洋館の中に和風の要素があったりします。
例えば、この建物の和館2階の和室6部屋は洋風の廊下に囲まれている。
あまり見ない間取りだけど、どういう目的があったんだろう。
あるいは使用人が来客対応するときにこのスペースを使用したとか?(お客さんのいる間に直接あがらないようにするために)。
さらによく見ると窓は洋風だけど窓枠上部(この部分はなんと言うんだろう?)はなんだか和風。
伝統的な日本建築って室内が暗くて陽当たりが良くない印象があるけど、明治以降のこういった和洋折衷型建築は和館部分の天井が高く、窓も大きくて陽当たりがいい。
豪華な金の襖は当時からのもの。
琵琶湖、あるいは豊田家の故郷の湖西市あたりの風景が描かれている、らしい。
庭が広いし、敷地南側に高い建物がないせいか、優しい陽の光が差し込んでいて心地よかった。
撞木館や六華苑を見学した時も思ったけど、洋館部分より和館部分の方が落ち着く。
一応、洋館目当てで訪問したんだけど....。
この旧豊田佐助邸も洋館部分は1階の3部屋のみで、実際の生活の場所は和館だったようだ(外観こそ洋館だが実際2階は和風)。
なので和館の方が落ち着くのは当然なのかもしれない。
見学も、洋館1階の1部屋は管理事務室になっているため、洋館については廊下や応接間のみ。そのためか、和館が印象に残る。
ちなみに洋館1階、応接間。
当時の多くのこういった建築と同じように来客応対は洋館、生活するのは和館だったということですね。