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いにしえの建築をめぐる旅

【大津市坂本】旧竹林院と公人屋敷(旧岡本邸)

滋賀県大津市坂本へ行ってきました。

坂本は比叡山の麓にある町で、門前町として古くから栄えてきた町です。

そのため、地図をみても寺院がとても多い。

延暦寺はもちろん律院、乗実院、慈光院....。

ここら一帯は国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されています。途中の道も良い感じに苔が生えてました。

 

江戸時代になると里坊という比叡山で修業を積み、天台座主の許しを得て住み込む隠居坊が造られるようになり、そういった神職者のほか、大工や延暦寺に物資を供給する商人など様々な人が生活するようになったとのことです。

今回、訪問した旧竹林院はそうした里坊の一つです。入口の前は駐車場になっていて、運よくここに停めることができました。時間によっては満車の可能性高し。

親切な受付の方に案内されて、園内へ。

自分以外のお客さんは一人しかおらず、静寂な空間が広がっていました。

1階と2階それぞれに座卓がありテーブルの反射を利用した撮影スポットあり。

特に画像の補正をしなくても緑が美しい。森林浴、というと厳密には違うだろうけど緑に癒されました。

とにかく緑が濃い....。

ところで何故「旧」竹林院なのか。というと、

竹林院は16世紀後半に比叡山延暦寺の隠居屋敷として建立されたようです。

ただ明治維新を迎え、廃仏毀釈によって寺院が衰退し、この竹林院は個人の手に渡ったとのこと。よってもはや寺院としての竹林院ではないので旧竹林院、というようです。

園内にある2棟の茶室は大正時代建築とパンフレットに書いてあるけれど、明治以降の所有者が建てたものなんだろうか。ちなみにどなたの所有になっていたのかは不明。

その後、大津市の所有となり現在に至っている。もうちょっと、ここの歴史について聞いとけば良かったな。

庭園は国指定名勝庭園に指定されている。

案内によると南西に約3300㎡の庭園、と書いてある。

ウィキペディア情報によると、坂本里坊庭園としては最大の広さとのこと。

この庭園も明治以降、個人に所有がうつってからできたものらしい。

勝手に江戸時代の庭園だと思ってたけどそうではないんだ。

八王子山を借景とし、地形をいかしたこの庭園は木々と苔と清流と静寂による風情ある空間で、紅葉の季節でなくても、とても満足できるものでした。

母屋も明治以降のものとのことなので、つまりここは思っていた以上に明治・大正建築とその庭園ということになる。

京都だとこういったお寺はもっとたくさんの観光客で賑わっているんだろうけど、ここは(たまたま僕が行ったときは)人が少なくて、ほんと緑に癒されました。おすすめです。

※ネットをみるとたくさんの人が訪れているので、僕が行ったときはほんとたまたま人が少ない時だったようです。

で、旧竹林院と共通チケットになっているのが旧竹林院から約700m東にある公人屋敷(くにんやしき)「旧岡本邸」です。

9人、じゃない公人(←「くにん」でうっても変換されない)とは「延暦寺の僧侶でありながら妻帯と名字帯刀を認められた人々」のことをいう。

案内によると公人は「三塔十六谷からなる延暦寺の堂舎・僧坊に所属し、年貢・諸役を収納する寺務を務めていた」。

延暦寺が治めていた坂本の行政を担う役職についていたようです。

 

木造2階建、桁行八間、梁間五・五間の切妻造、棧瓦葺きの建物で、2階はあるんですが、非公開になっているので見学は1階のみでした。

坂本にはもともと、公人屋敷がたくさんあったようなんですが、多くの家屋は時代の経過とともに生活様式が変化し、それに伴って住居もだいぶ変化してしまったようです。その中でこの旧岡本屋敷は全体的に昔の様子をよく残しているため、往年の公人の居宅として貴重な建物となってます。

商人とか大庄屋あるいは旧家の邸宅は今まで見たことがあったけど、公人という寺務官僚の居宅って確かにはじめてみたな。

入口はいってすぐに帳場囲いと銭箱が展示されているけどこれは「比叡山に出入りしていた商家にあったものを持ってきた」ものなので岡本家にあったものではないっぽい。

しかし公人の屋敷にもこういった帳場囲いみたいなものはあったんだろうか?

商売をやっていないから無かったと思うんだけど。

さらに進むと東側に土間、西側に大小九部屋の和室が配置されている。

 

この家は、岡本家の家系図からおおよそ江戸時代後期に建築されたと推定され、1864年の棟札があることから、おそらくそのあたりに新築か改築が行われているよう。

平成13年に大津市に寄贈されたので、かなり最近まで旧所有者さんが使用していたことになる。そう思うと、よくぞここまで江戸時代の雰囲気を残したまま残ったなあと思う。