前回に引き続き静岡の建築の記事になります。
今回は旧マッケンジー邸と同じく静岡市にある「旧エンバーソン邸」です。
場所は、日本平動物園の敷地内にあります。
エンバーソン邸専用の駐車場はないため、動物園の駐車場に停めることになります。
僕は結構遠い駐車場にとめたので、そこからぐるーっと動物園の敷地を環状に歩きました。
すると今回の目的地「旧エンバーソン邸」が見えてきます。
旧エンバーソン邸について
建物は昔から動物園内に建っていたわけではなく、もともとは1904年に静岡市葵区西草深町の静岡教会敷地内に宣教師のための家として建てられました。
西草深町は駿府城の西側に位置しており、大政奉還後、徳川慶喜公の居宅が一時期あった場所です。
旧エンバーソン邸は慶喜公の居宅跡地の一部に建てられました。
邸内で紹介されていた昔の写真を見ると、近くに静岡英和女学院やその幼稚園もあります(先にエンバーソン邸が建ちその後、学校が建てられたようです)。
今でいうミッション系大学の敷地内に建っている、みたいな雰囲気ですね。
1904年:カナダ人宣教師ロバート・エンバーソンの自邸として建築
1910年:エンバーソン氏、一時帰国後永眠(42歳)
1986年:静岡市へ寄贈。老朽化より現在の駿河区池田へ移築工事開始
1987年:一般公開始まる
2009年:市指定有形文化財に指定
館内の紹介パネルをみると、1910年から静岡市へ寄贈される1986年まで多くの人が住んでは去っていったことがわかります。
1940年くらいまでは赴任してきた外国人宣教師が代々暮らしてきたようですが、その後は市会議長が住んでいたり、教会の子ども学校や高校の寮として使用され現在にいたっています。
幾星霜を経て、動物園の敷地内に建っているわけですが敷地の隅、自然公園に接して建っているためか周囲は静かで穏やかな見学となりました。
僕が行ったときは他にお客さんはいなくて時々、動物園来園者が1組、2組帰り際に寄るような感じでした。
静岡県内唯一の外国人宣教師住宅
旧エンバーソン邸の良かったところは、家の歴史がわかる資料が豊富に展示されていたことです。
特に写真が多かったのが良かった。
ロバート・エンバーソンさんの家族写真、竣工式の日の建築に関わった人たちとの集合写真、エンバーソンさんが撮った当時の人々の写真、移築工事直前の建物写真。
現在にいたるまでの家の歴史が俯瞰できる。
特に移築直前と思われる写真があったけれど、もう見るからにボロボロでよく残っていたなあと思いました。
家が建った1904年といえば日露戦争が始まった年にあたりますが(1904年2月、日露戦争開戦、同4月エンバーソン邸竣工)、近くにロシア人捕虜収容所があったことから、エンバーソン氏は捕虜の世話や日露戦争の出征遺家族幼児保管所を開設したりと慈善活動を行っていました。
このように当時の社会情勢(大きな歴史)の一側面を家の歴史(小さな歴史)から垣間見ることもできました。
誰が設計したのかはわからなかったですが、洋風の中に和風もささやかに組み込まれています。
動物園の出口付近、しかもちょっと下がった場所に建っているため、動物園の来場者も(ここに明治時代の建物が建っているとは)気づいていないのでは?と思ったけれど、案内の方も親切で、のんびりと素敵な見学ができました(2025年1月現在、入館料は無料)。
※動物園とは別に見学できます。