旧藩主の邸宅シリーズ⑤は旧加賀藩主前田家16代当主の前田利為候が自身の居宅として昭和4年に建てた「旧前田家本邸」です。
現在、東京都目黒区の駒場公園内にひっそりと建っていて愛知から車で行ってきました。
旧前田家本邸の概要
1926年:それまで前田家の本邸があった本郷から(東京帝国大学所有の駒場の土地と交換し)駒場へ移る
1929年:洋館竣工
1930年:和館竣工
1942年:当主である前田利為候、ボルネオ方面軍最高司令官として戦死
1944年:中島飛行機が土地と和館を買収し本社にする
1945年:連合軍に接収される
1956年:土地と洋館が個人の所有へ。和館は国が買収
1964年:土地と洋館を都が買収
1967年:洋館が東京都近代文学博物館として開館
2002年:東京都近代文学博物館が閉館
2013年:重要文化財に指定され、名称を「旧前田家本邸」とする。
というわけで、所有者も建物の用途も何度か変更されて現在に至ります。
建築当時の写真を館内で見たんですが、敷地の周辺は現在と違って田園地帯だったことが印象的です。
当時ここら辺は東京帝国大学農学部の前身である駒場農学校があったためか広大な田園地帯だったようです。
利為候はイギリス留学中にイギリスのカントリー・ハウス(田園地帯に建つイギリス貴族の館)へ訪問することがあったらしく、駒場に本邸に移すときそのイメージがあったのでしょう。
現在の駒場公園も静かで、(言われてみれば)カントリー・ハウス的な雰囲気がありました。
東洋一と言われた洋館
1階は迎賓館的なスペースになっています。
階段広間、小客室、大客室、大食堂など。
鉄筋コンクリート造2階建て、地下1階、延床面積が約2,930㎡あるだけに「重厚感があると同時に広い...!」というのが最初の感想。
入ってすぐの玄関広間からして重厚で豪華です。
「居宅」というよりはまさに迎賓館。
それもそのはずで旧藩主という立場や、社会的役割(軍の要職を務めていた)からいろんな人の出入りがあったし、また利為候は「日本には外国からの貴賓を招く邸宅がない」と常々考えていたようで、その意向が反映されています。
どなたが言い始めたのか不明ですが「東洋一の邸宅」と言われるにふさわしい建物でした。
また平成28年から30年にかけて保存修理工事が行われていたためとても綺麗。
工事完了後、本邸を訪れた第18代当主の前田利祐(としやす)さん曰く「祖父母と過ごしていたころと雰囲気は同じ。よくここまで復元できた」とのこと。
案内パンフレットにご家族のモノクロ写真が掲載されていますが、そこに幼い利祐氏も写っています。
紆余曲折を経てほぼ建築当時の姿に戻ったといえます。
家族の生活スペースは2階になります。
寝室、夫人室の他、長女、次女、三女、三男の居室、さらに書斎、女中の部屋などがあります。
そのまま高級レストラン等に使用できるのではないかと思うくらい綺麗に管理されていました(現に細川邸や小笠原邸といった旧邸宅は結婚式場やフランス料理のお店として使われている)。
ここで施主である前田利為侯爵についてです。
前田利為侯爵(1885~1942)とは
- 旧加賀藩前田家16代当主
- 日本の華族であり軍人
- 政治家を志すも有栖川宮殿下より「大名華族の筆頭である前田家の当主は帝国軍人としてご奉公すべき」と諭され軍人に。
- 第八師団長など要職を努めた他駐英大使館附武官として渡英。最終的には陸軍大臣
- 前田家の本邸をそれまでの本郷から駒場へ移転
- ボルネオ方面軍最高司令官として戦死
職業としては軍人ですが、旧藩主という立場で英才教育を受け、私費でイギリスやドイツに留学し見聞を深めるなどして様々な人と交流し、教養を深め、文化財の保護などにも取り組んでいました。
和館の紹介
ちなみに洋館の隣に和館も建っているのですが和館は「主に外国からの賓客をもてなす目的で建てられた」そうです。
旧諸戸邸や旧豊田邸といった明治以降の洋館って「洋館はお客さんをもてなすスペースで、生活するのは和館や和室」という構造でしたがこの前田邸は、和館が外国の賓客をおもてなしする場所として建てられました。
そこに(日本が世界の強国となったことによって)堂々と日本伝統の「和」でお客さんをもてなそうというある種の自信のあらわれを見ることができると思います。
と同時に「西洋人を日本風西洋建築に招くのではなく日本の伝統的家屋に招待して喜んでもらおうよ」というような利為候のある種の教養も感じられる。
ちなみに和館の2階と茶室は「ガイドツアー時のみ見学可」になっていますので、今回は見ることできず。
ただ(非常に凡庸な言い方ですが)旧前田家本邸は「やっぱ100万石の藩主の家はすごいなあ」と思える立派な邸宅で非常に満足でした。
これが見学料無料かいなと思いましたね。