【山形県への旅】米沢市「重要文化財 旧米沢高等工業学校本館」
小旅行で山形県へ行ってきました。
いろいろ行きましたがまず最初の目的地は山形県米沢市です。
愛知県から飛行機で、こんな感じです。
飛行機で飛んでいる時間は約45分ほど。
あっという間に山形へ到着しました。
僕の故郷、盛岡市へ行くときもそうですが飛んでいる時間はほんと少しです。
ですが、(これも盛岡と同じですが)そこから空港バスで山形市まで50分かかります。
そしてレンタカーに切り替えて山形市から米沢市まで高速で50分ほどで到着。
なぜわざわざ米沢へ、というと今回の旅で福島へ行く予定があったのでこの日は
米沢に着いておく必要がスケジュール上あったわけです。
もちろん米沢にも行きたいところがありました。
車で米沢市内にはいると確かに米沢牛の看板がチラホラ目に入りました。
しかし、僕の目当ては米沢牛でなく
「重要文化財 旧米沢高等工業学校本館」です。
こちらの建物は山形大学米沢キャンパス内にあり、いつでも見学できるわけではなく事前予約制となってます。
僕も事前に予約し、愛知県からなんとか閉館時間までにたどり着くことができました。
旧米沢高等工業学校本館とは
- 明治43年(1910年)築
- 文部省建築課の中島泉次郎設計
- 東京、大阪、京都、名古屋、熊本、仙台につぎ、全国7番目に創立された高等工業学校(旧制専門学校)
- 終戦後、昭和24年山形大学工学部に改組
- 昭和48年重要文化財に登録、現在に至る
当日は、当館の名誉館長が直々に案内してくれました。
1980年くらいまでこの建物で授業が行われていたそうで、館長も実際通学していたそうです。
建物はルネッサンス様式を基調とした木造2階建で、全長94mにも及ぶ大規模なものです。
建物中央は意匠が凝っていてエレガントでした。
両端に角屋(階段室)が突き出ており、中央玄関には車寄せがついてます。
設計した中島泉次郎は東北帝国大学や名古屋、仙台の高等工業学校も設計している人であの郵便マーク「〒」を考案した人でもあるそうです。
郵便マークは、当初は赤丸に横一本線が入ったマークを使用していたようですが、なんのマークなのかわかりにくいという指摘を受け、郵便を扱う逓信省初代大臣榎本武明が新しい郵便マークを考えるよう指示。
命令を受けた逓信省職員の中島が、日本郵船の戦旗であった二本の線(日本を意味する二本の線というダジャレ)と逓信省の「T」から熟考し〒を考案したとか。
このことは「チコちゃんに叱られる」でも取り上げられていたようで、案の定「諸説あり」だそうですが(笑)。
いずれにせよシンプルで良いマークですよね。
建物内部だと2階会議室天井の漆喰飾り、階段廻りなど意匠の細部にこだわりを見ることができます。
この建物内には様々な展示があるのですが、戦前の学校の様子、つまり青年たちの集合写真や生活風景、彼らの表情など多くのモノクロの写真が印象に残りました。
通常、こういった展示って歴代学長の写真とか有名な卒業生のプロフィールのみということが多いと思いますが、無名の青年たちの笑顔の写真をみていると、当時の学生生活の様子などがわかるし、より建物の歴史の長さと明治・大正を感じることができる。
その生徒たちの中から東京ガス株式会社の社長を務め、ミスターエネルギーと呼ばれた安西浩氏、石川島造船所社長を務めた田口連三氏、詩人・思想家の吉本隆明氏、株式会社タカラ初代社長の佐藤安太氏などが戦後の日本を引っ張り、活躍している。
ちなみにここには、その他にAntiquesコレクター菅原和雄氏の約450点もの近代文明機器が展示されている。
とにかく膨大なコレクションで100年前くらいの蓄音機や初代のテレビやらラジオ、計算機、レコーダー、パソコンなどがところ狭しと展示されている。
そうこうしているうちに時間になった。
展示も建物そのものもしっかりしているので、じっくり見ようと思うと1時間以上がかかると思いました。
僕が伺ったときは僕一人だったため、丁寧に案内いただき大変満足でした。 ありがとうございました!。
観光客の予約はポツポツと常にあるようです。
ちなみに直江兼続が主役の大河ドラマ「天地人」の際、一日500人来館したのが最高記録とのことでした。
米沢市にお立ち寄りの際はぜひぜひ。