【名古屋市覚王山レトロ建築散歩②】旧古川為三郎邸でお茶する
前回、日泰寺と揚輝荘の記事を書いたけれど、一緒にオススメしたいのがすぐ近くにある旧古川為三郎邸。
場所は日泰寺・揚輝荘のすぐ近く。
揚輝荘から徒歩10分くらいの場所にある。
この旧古川為三郎邸の正式名称は「古川美術館分館為三郎記念館」というちょっと長ったらしい名前。
古川氏が長年収集していた美術品を展示する古川美術館とは別にある建物で、数奇屋風建築の「為春亭」と日本庭園と茶室「知足庵」からなっている建物。
ここは彼の住居だった建物で現在、そこに「数奇屋deCAFE」というカフェが併設されている。
簡単に言ってしまうと昭和9年築の数奇屋風建築「為春亭」がカフェになっている、ということ。
地図を見てもわかる通り、ここら辺は閑静な住宅街と駅周辺の商業施設で賑わっている地域で、高層マンションも建っていたりして、とても伝統的な数奇屋風のおうちがあるような雰囲気ではなく、「ほんとにここらへんにあるのかな」と思いながら、とりあえず向かった。
そんな住宅地を歩いていると、木が林立し塀で囲われた区画がみえてくる。
入口がわからず「おそらくここだよなあ」とか思いながら、うろちょろしたり、塀の間から邸内を見たりする。ここが一般の個人宅だったら完全に怪しい人であった。
周囲をぐるっとまわるとさりげなく良い感じの入口を発見。
間違いなくここが旧古川為三郎邸だな。
受付は小さめなミュージアムショップになっていてレトロ建築とは程遠かったが、案内を受けて入館するとそこは伝統的な数奇屋建築の静寂な空間が広がっていた。
「古民家カフェ」ということもできるんだろうけれど、カフェというよりはまず立派な「数奇屋風邸宅」である。
それもそのはずで6件の建物が国の登録有形文化財に登録されている。
古民家カフェに行く目的は「古民家の雰囲気でカフェを楽しむこと」にあると思うが、建物が立派だったので、お茶を楽しむことはそっちのけで、先に宅内の見学をしてしまった。
この建物は土地がちょうど傾斜しているところに建っているらしい。
らしい、と言ったのは中にいると建物がどう建っているのかよくわからないからだ。
受付を済ませて大桐の間、葵の間から外を眺めるとこの建物は平らな場所に建っている平屋建て建築であることがわかるのだが、中庭通路から外を眺めると、階段をのぼったわけではないのに2階にいるような気分になった。
また、建物を見学していると階下へ向かう階段が現れる。
「あれ、平屋建ての建物じゃなかったっけ?」とここでも思う。
外からぐるっと眺めたわけではないので細かな構造はわからないが、斜面を上手く使って建てているようだ。
そんな広いおうちではないけど、単純な平屋建ての建築ではないみたい。
ぐるっと邸内を見学した後、お茶を頂くことにした。
好きなところに座っていいとのこと。
一番いい席は「大桐の間」「ひさごの間」だと思うけど、あいにく先客がいたので「桜の間」でメニューを注文することにした。
ちなみに帰り間際、ちらっと大桐の間をみると誰もいなかったので、(流石に2杯目のお茶は頂かなかったが)緑の美しいお庭を堪能できた。
抹茶と生菓子を頂きながら、この建物に住んでいた古川氏のことを調べてみる。
そもそも古川為三郎さん(1890~1993)とはどういう人なのか。
- 現在の愛知県一宮市出身
- 約30社からなるヘラルドグループの創業者
- 映画館、配給、飲食店、ゴルフ場、スキー場の運営等の事業を行った実業家
- 名古屋大学付属図書館の建設や世界デザイン博覧会への寄付など慈善事業への積極的な取り組み。
- 家庭裁判所調停委員、共同募金会委員会理事といった数々の公職・名誉職を兼務
1988年のアメリカの雑誌「フォーチュン」には世界最高齢の富豪と紹介されており「西の松下(幸之助)、東の古川」とも言われていたとか。
古川氏の名前は知らなくても映画が好きな方は日本ヘラルドとかヘラルドグループという会社はご存知なのではないかと思う。
ウィキペディアを見るとフランソワ・トリュフォー監督の「柔らかい肌」とかゴダール監督の「気狂いピエロ」など僕も見たことがある有名な作品もたくさん配給していた。
また、現在はもう存在しない今池国際劇場、マキノ劇場、毎日ホール劇場など名古屋にたくさんの映画館をもっていたようだ。
御子息の古川勝巳氏とともに名古屋の(というか日本の)映画文化を創った人の一人といえそうだ。
この建物は為三郎氏の「わたくしが大好きなこの住まいを、みなさんの憩いの場として使っていただきたい」という遺志により平成7年に開館している。
憩いの場。
ここは、宅内に足を踏み入れるとお庭の緑と静寂な空間が広がっていて、ゆったりとした時間が流れている。
駅周辺の商業施設や新築アパートやら高層マンションの建つ外の雰囲気とはあまりに違うのでそのギャップを感じずにいられない。
周辺はこの約90年の間に、空襲や、都市整備に伴う開発などで、様変わりしてしまったと思うけれど、この家が建つ一画は為三郎氏のいう「わたしの大好きなこの住まい」の雰囲気を当時から残しているんだろうな思った。
ここを高級フランス料理店や高級料亭として使用することもできたであろうが、故人の遺志を受け継いで「憩いの場」として残っている。
お近くに寄った際はぜひぜひ立ち寄ってみてください。おすすめです。