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いにしえの建築をめぐる旅

【山形県山形市】<国指定重要文化財>明治時代の病院「旧済生館本館」

山形市の中央にある霞城(かじょう)公園。

その公園の南東側に旧済生館(きゅうさいせいかん)本館という洋館が建っています。

竣工したのは明治11年。

山形市の近代化を推進した三島通庸の命令によって建てられた洋風の病院です。

もともとは文翔館などが建っている七日町にあったものを昭和42年に現在の場所に移築。

現在は病院としての本来の役割を終え、城跡公園内で周囲の木々に囲まれながら静かに建っています。

官公庁一帯の中に放置されているよりも、この方が風情があって(爽やかで)個人的に良いなと思いました。

沿革

  • 明治11年 竣工
  • 明治12年 山形県済生館として開院
  • 明治21年 民営となる
  • 明治37年 市営「山形市立病院 済生館」となる
  • 昭和41年 国の重要文化財に指定
  • 昭和42年 移築工事開始
  • 昭和44年 移築工事完了
  • 昭和46年 「山形市郷土館」として開館

明治11年(1878年)築なので2023年現在で築145年。

山形市郷土館としても52年になります。

三島通庸が建てた一連の洋風建築の中で唯一、残っているものという意味でも貴重ですし、この建物は「擬洋風建築」の傑作とも言われています。

擬洋風建築とは

一口に洋館といっても様々。

洋館をざっくり3つにわけると以下のパターンになると言われています。

  1. 主に幕末から明治初期にかけて日本の大工棟梁が建てた洋館
  2. 明治政府に雇われた西洋人建築士ジョサイア・コンドル等)が建てた洋館
  3. 西洋建築を学校で学んだ日本人が建てた洋館

擬洋風建築とは上記の1のことを言います。

明治政府は、公共の建物等を洋風にしようと決めました。

しかし、西洋建築を建てるための建築知識を持っている日本人がまだいません。

そこで日本の熟練大工たちは、横浜に西洋建築をみに行ったり、写真や文献でみたものを見よう見まねで建てることにしました。

旧済生館はそんな擬洋風建築の一つであり、傑作とも言われています。

文明と文明の衝突の痕跡

その旧済生館ですが、実に不思議なかたちをした建物でした。

中心に庭のようなスペースがあり、その庭を円状に囲むように建物が設計されています。

全部で8室あり、それぞれかつては診療室でした。

各部屋

元眼科診療室

眼科といえば、昔使用されていたと思われる視力検査器がおいてありました。

「右」とか「左」とか言って視力を測定するアレです。

現在と違って蝶々とか魚とか犬のシルエットが描かれているんですよね。

看護師に「これは?」と聞かれると「左向いてる犬」とか「右向いている魚」とか

答えていたんでしょうか。

いつごろ使用されていたのかは不明

どこか洋風でもあり、でも中国っぽくもある。

ステンドグラスやらせん階段は欧米風。

でも外観はなんとなく中国風で、一部の意匠は神社やお寺っぽかったりする。

建物を見学しながら、押し寄せる洋風化の波と苦闘する当時の大工や職人たちに想いを馳せた。

なんせ250年間、鎖国していた国が急に開国して、建物を洋風化していくという。

おそらく職人たちの中には西洋建築を見たことがないどころか、西洋人をみたことない人もいたはず。

「俺ら、今から何を作るんですか?全くイメージがわかないんだけど....」という状態だったと思う。

そういう手探りの中、培ってきた技術と誇りをかけてなんとか完成させた。

「見よう見まねで建てた」と書いたけれど、こう書くとまるで洋風化を急ぎ、背伸びして「なんとかそれっぽいものを作ってみました」というようなニュアンスを与えるかもしれない。

つまり一種の「なんちゃって」だと(現に「擬洋風建築」なんて呼ばれているし)。

でもそうではなく、こういう建物こそ「急いで欧米に追い付きたい」という当時の政府の想いや、「文明開化」という晴れやかなイメージの下、繰り広げられた文明と文明の衝突の痕跡なんだろうな、と思いました。

現在の済生館病院

<INFORMATION>

  • 観覧料:無料
  • 開館時間:午前9時~午後4時30分
  • 休館日:年末年始(12月29日~1月3日)

※令和5年時点