WALK

いにしえの建築をめぐる旅

【山形県山形市】重要文化財「山形県郷土館」(愛称:文翔館)へ行く

県都でもある山形は、ちょっとした高台のよい立地にあり、それに加えて県庁が本通りのいちばん上(かみ)というほかより抜きんでた位置にあるので、日本の町としてはめずらしく引き立って見えます       

                   イザベラ・バード日本紀行」より

これは19世紀のイギリスの女性旅行作家イザベラ・バードが1878年4月から、約2240キロにわたる日本国内旅行で山形市を訪れた際、記述したものです。

今回はそのイザベラ・バードも記述した山形の「県庁」へ行ってきました。

といってもバードのいう県庁は初代県庁であり、今回訪問した、現在「文翔館」と呼ばれている建物は2代目県庁になるので彼女のみたものとは異なります。

旧県庁舎「文翔館」

県会議事堂

文翔館とは

  • 明治44年の山形大火により初代県庁舎が焼失したため、大正5年(1916年)に2代目県庁舎として建てられた「旧県庁舎及び県会議事堂」
  • 設計顧問は上杉伯爵邸を設計した中条精一郎。設計は田原新之助
  • 昭和50年まで県庁舎として使用
  • 昭和59年、国の重要文化財に登録
  • 昭和61年から平成7年にかけて10年に及ぶ工事を経て「山形県郷土館(愛称:文翔館)として開館。

この日(日曜日)は天気も良く綺麗に写真が撮れました。

建物の前が広いスペースになっていて、建物を遮るものが無いのも個人的に好ポイント。

「英国近世復興様式(イギリス・ルネッサンス)を基調とした建物」と案内にあるのですが、壁面の石張り、壁面の模様、車寄せの列柱に施された植物をモチーフにした装飾(アカンサス)の柱頭、といい近くでみると重厚感あって迫力がありました。

特に印象的なのは時計台。

現在稼働している塔時計としては札幌の時計塔に次いで2番目に古いものです。

当時、時計輸入業者の最大であったファーブルブラント商会が輸入したもので、イギリス製ではないかといわれています。

塔上部、文字盤周辺、中央部の格子窓などの飾りによって優雅な装飾。

振り子を動かす分銅はなんと5日に1回、時計職人の方が手動で巻き上げているとか。

青空に映えます。

時計塔

華やかな中央階段、正庁、貴賓室

玄関から中に入ると、そこはもう2階になっています(ちなみに1階は倉庫)。

玄関はやや薄暗いけれど、吹抜けの中央階段にある黄色いステンドグラスから陽の光が差し込み、格調の高い空間になっています。

中央階段

3階の南側に位置する「正庁」は現在でいうところの講堂で、重要な会議が行われていた部屋。

そのためか、文翔館の中で最も華やかな雰囲気の部屋になっています。

7月22日のブラタモリタモリさんが正庁について(華やかすぎて)県庁に見えないというようなことを言っていたお部屋です。

長い間、天井はボード張りに低く改造されていたようだけれど、復原工事の際、昔の写真等の調査資料により、花飾りの漆喰塗やシャンデリア、カーテン、壁紙、バルコニーのタイル張りを創建当時に復原したとのこと。

タモリさんの言う通り、入室すると華やか且つ、厳かな雰囲気で、少なくとも些末な会議とかする雰囲気ではなかったです(笑)。

創建当時はこのような意匠だったものが、一旦天井ボード張りになり天井が低くなったのはどうしてなのか?

贅沢すぎるということだったのかな。そこらへんの事情は不明。

正庁

漆喰塗と精緻な細工が施された天井の仕上げ

正庁の東隣には貴賓室、知事官房室、知事室と並んでいます。

貴賓室は暖炉と寄木細工、また知事室も同じく暖炉と寄木細工に加えカーテンボックスなどが当時のまま残っています。

貴賓室

知事室

イザベラ・バードのみた山形と初代山形県令の三島通庸

ちなみに正庁からバルコニーに出ることができて、七日町の大通りを一直線に眺めることができます。

館内に「明治初期の県庁前通り」の絵が飾ってあるけれど、建っている建物は違えど現在のこの風景と似た区画になっていることがわかります。

バルコニーからの眺め。

これは鹿児島県出身で初代山形県令である三島通庸が都市整備事業を行い、道路を整備し、学校、庁舎、病院など擬洋風建築を次々に建て、山形を一気に近代的都市に変貌させたため。

確かに七日町大通りから見える文翔館はイザベラ・バードの言う「本通りのいちばん上(かみ)にある堂々とした県庁」そのものです。

七日町大通りからみた文翔館

明治初期の県庁前通り。奥に初代県庁があります。通り沿いには警察署、師範学校、博物館など洋風の建築が立ち並んでます。

そもそもは当時の内務卿である大久保利通が東北を見てまわり、東北地方の開発の必要性を感じていたようで、その政策を推進するため東京府参事も務め、経験もある三島が任命されました。

大久保のバックアップを得て三島は洋風の建築を建てるだけでなく、道路の開発を積極的に行いました。

三島は山形以外にもその後、福島、栃木の県令も務めていたのでかなり大規模に交通を整備し、そのため「土木県令」とか「鬼県令」とか呼ばれていたとか。

三島通庸。ちなみに玄孫は麻生太郎氏。ちょっと似ているかも。

イザベラ・バードは「日本紀行」の中で山形の道路について他にも記述しています。

山形県はまれにみる繁栄した進歩的で野心的な地方だという印象を受けています」といい「広い道路は交通量もきわめて多く、裕福で開花されているようです」と記述しています。

「その(山形の)繁栄はひとつにはこの立派な幹線道路から生まれているとわたしは思います」

「この道路のおかげで耕作者は市場を選択でき、輸送が不便なため最寄りの市場で販売せざるをえないという状態を免れているのですから」

「山形の街路は広くてきれいです」

「県庁、裁判所、付属上級学校を備えた師範学校、警察の建物は、どれも立派な道路や見るからに裕福な町の雰囲気にふさわしいものです」等々。

特に最後の「県庁、裁判所、付属上級学校を備えた師範学校、警察の建物は~」は上記写真「明治初期の県庁前通り」のままではないでしょうか。

初代県庁が落成したのが1877年。

イザベラ・バードが日本を旅したのが1878年4月から。

つまりバードが山形を訪れた時は本当に三島がせっせこ山形を作り直している最中だったといえそうです。

ちなみに文翔館はその他にも各部屋があるんですが、展示室になっていて「明治から現代にかけての山形の歴史」「歴代の県知事の紹介」「山形の文学」や「文翔館の復原工事の様子」等が展示されています。

旧県会議事堂

旧県庁の隣には旧県会議事堂が建っています。

旧県会議事堂

これまた立派な建物なのですが、現在、文翔館は議場ホールや会議室の貸し出しも行っていて、この日も旧県会議事堂は高校生のコンサートが行われていました。

そのため議場ホール内には入れませんでした。

議場は(演奏が行われているため)撮影できなかったけれど、ちらっと見ても立派でしたね。

楽器を趣味にしている者からすると、こういうところで演奏できるのは素敵だし、ちょい羨ましい。

旧県会議事堂も見学したい場合は、あらかじめ文翔館の予定を確認してから行ったほうがいいと思います。

アクセスについては、山形駅周辺のホテルに宿泊していたので歩いて行きました。天気も良かったこともあり散歩にちょうど良く最高でした。

 

山形県郷土館 文翔館】※令和5年時点

開館時間:9:00~16:30
休館日 :第1・3月曜日(ただし、祝祭日の場合は翌日)、年末年始(12月29日~1月3日)
入場料 :無料