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いにしえの建築をめぐる旅

【旧藩主の邸宅②】鳥取県への旅~白亜の西洋館、旧鳥取藩主池田仲博侯爵が建てた「仁風閣」へ行く

「旧藩主の邸宅」第2回目は旧鳥取藩主である池田家の第14代当主池田仲博侯爵が建てた「仁風閣」をご紹介します。

鳥取県鳥取市にある仁風閣は愛知県からだと車で約4時間ほど。
台風が来るだとか、コロナの第〇派とか、いろいろあってなかなか行けなかったのだけれど、ようやく行けました。

長距離ドライブは少し心配だったでしたが、アップルミュージックでしこたま音楽を聴きながら運転すると、時間はあっという間に過ぎて、思ったほど苦痛を感じず到着。

ちなみに駐車場は「鳥取県庁北側駐車場」に停めました。
休日はすぐに満車になるようで、僕が行った日は鳥取城でイベントがあったこともあり、少し待ちました。

鳥取県庁北側駐車場から歩いてすぐに鳥取城跡、久松公園(きゅうしょうこうえん)が見えてきます。

「白亜の西洋館」仁風閣は堀の外からでもよく見えました。

この建物は明治40年(1907年)に、旧藩主・鳥取池田家の池田仲博侯爵が建てた建物で、迎賓館赤坂離宮などを建てた片山東熊が設計しています。

嘉仁皇太子(後の大正天皇)の山陰行啓にあわせて、わずか8か月ほどの短い工期で建てたとのこと。

総工費は当時の費用で約4万4000円。

当時の鳥取市の年間総予算が約5万円。

その総工費はなんと池田家が負担したそうです。

江戸時代の大名、おそるべし。

しかも自らの邸宅ではなく、天皇が泊まるように8か月で建てるという....。

建物は白亜のフランス風ルネサンス様式の木造2階建て瓦ぶきの洋風建築です。

鳥取藩主、池田侯爵が建造し

宮邸建築家、片山東熊が設計し

元帥であり海軍大将の東郷平八郎命名したという華やかな洋館です。

↑ちなみにこちらは皇太子が訪問した際、同行した東郷平八郎が書いたもの。

正面玄関の上部には六芒星のようなものがあって、その中に池田家の家紋「揚羽蝶」が彫られていました。

よーくみてみないと気が付かなかったけど確かに彫られている。

池田家の家紋といっても岡山藩の「備前蝶」と鳥取藩の「丸に揚羽蝶」の二つがあって、こちらは「丸に揚羽蝶」というタイプの家紋。

家紋っていろいろあってみていて楽しいですね。デザインも独特だし。

一体、どこのどなたがこういうデザインを考えたんだろう?

1階は「仁風閣のあゆみ」とか「池田家の原宿屋敷」、この建物を設計した「片山東熊の年表」などの案内があります。

池田家14代の仲博氏は徳川慶喜公の5男とか、仁風閣はこの100年の間に洋風宴会場、結婚式場や県立博物館など、いろんな用途で使用されてきたことを知る。

こちらは2階。

2階の案内図を見ると「御座所」「御寝室」「謁見所」という部屋があることから皇太子がお泊りになられた場所だということがわかる。

天井が高い。

ちなみに延べ面積は1,046㎡(317坪)ということです。

サンルーム。

ここから庭園を眺めることができる。

こういうサンルーム、旧諸戸邸にもあったなあ。

ここに出ると、陽当たりが良くて晴れやかな気持ちになれる。

明治期洋風建築で国内唯一といわれる支柱が存在しない螺旋階段。

当時のまま、残っているということ。

当時は給仕が使用していたようだけど、バキっとかいかないかちょっと怖いような...。

ちなみに現在は立ち入り禁止になっていて一般観光客は通れないので上から眺めることになる。

旧藩主の建てた本格的な明治時代の洋館に行ったのは初めてでワクワクしていたんだけど、とても立派な建物でした。

令和6年の春から令和10年まで改修工事を行うため、工事中は閉館する予定だそうです。ご興味のある方は工事が始まる前に行くといいと思います。

そんな素敵な仁風閣ですが、この建物は鳥取城跡地に建っています。

ついでに鳥取城跡も見学してみようと思い寄ってみたのですが、「ついでに」と言うのが失礼だったな、と思うくらい見ごたえのある場所でした。

何が?というと「石垣」です。

 

 

駐車場から久松公園に来るとき目が奪われるのは仁風閣はもちろんですが、もう一つ鳥取城跡の石垣の迫力でした。

とにかく目を引くのが岩、岩、岩....。

立つ場所によっては石垣が幾重にも重なって見える。

僕が「行って良かったな」と思った理由がこの石垣です。

他の城跡にも石垣はあるわけだけど、ここは石垣や無造作に転がる岩のためか、とても「遺跡」っぽかった。

各都市にある城や城跡公園に比べて、ここは「公園」ではなく「遺跡」と感じた。

戊辰戦争やその後の廃城令を経ても「軍事上の必要性」から壊さず残った鳥取城も結局1875年に解体されてしまう(71棟の建物が解体された)。

公園として綺麗に整備されている、というよりは「当時のまま月日を経て残っている」という感じがした。

そういった石垣を通り抜けて、登っていくと広く開けた場所にでる。

ここから鳥取市内を見渡すことができる。

僕の故郷の岩手県盛岡市にも盛岡城跡公園があり、市内を見渡せる場所があるんだけど現在、僕は丘も坂もない「平坦な街」に住んでいるので、こういう場所がある鳥取市民が少し羨ましい。ま、地元の人ってのはそうしょっちゅう来ないのかもしれないけど。