WALK

いにしえの建築をめぐる旅

【旧藩主の邸宅➀】愛知県岡崎市旧本多忠次邸へ行く

愛知県岡崎市にある旧本多忠次邸へ行ってきました。

この建物の主は本多忠次氏(1896~1999)といって、あの徳川四天王の一人、本多忠勝を始祖とする旧岡崎藩主本多家の子孫にあたる方です。

このおうちは、本多家第17代忠敬氏の次男として生まれた忠次氏が昭和7年(1933年)、36歳の時に東京世田谷の約7100㎡の敷地に建てた木造2階建一部鉄骨のスパニッシュ様式を基調とした建物です。

敷地選定から建築基本設計まで自分で行ったようで、いわば「こだわりの邸宅」ということになります。

当然、ご自宅に対してとても愛着があったようです。
戦後GHQが接収しに来た際、この家に愛着のあった忠次氏は「なるべく改造しないでほしい」とGHQに頼んだそうです。

結局、マッカーサーの顧問弁護士夫妻が(家を)特にいじることもなく住んで、その後、忠次氏へ返されました。

忠次氏は1999年に103歳(!)で亡くなるまで、この家に住まわれていたそうです。

世田谷にこのようなお家があったんですね。
さすがに1999年の時点でも7100㎡も敷地はなかっただろうが...。

忠次氏の死後、2010年~2012年に岡崎市の東公園へ移築復原工事が行われました。

外観は洋風ですが、邸内は和風と洋風を取り込んだ和洋折衷様式です。

2階の書斎は忠次氏が多くの時間をすごされていた場所のようです。

そしてお茶室を挟んで、控えの間、次の間、客間の和室が続きます。

この書斎から和室にかけて暖かい陽の光が差していて個人的にお気に入りの部分です。

また、「照明器具や衛生陶器などは養生されていたために、ほぼ全てを再使用できた」という館内の案内の通り、タイルやステンドグラスが印象的でした。

浴室は1階と2階にありますが、どちらもモザイクタイルが印象的。

館内には、移築・復原工事の様子について簡単に説明されています。

ちなみに説明によると狭義の復原とは、「もとの状態の情報に不明な部分がなく正確に把握されており、その情報に基づき、もとの状態どおりにつくるというときに用います。」とのこと。

よってこの旧本多忠次邸では「復原」を用いていると。

忠次氏が亡くなった後、敷地売却に伴い解体も検討されたようですが、文化的価値が認められて保存が決まり現在に至ります。

とても素敵な邸宅でした。

残っていて、そして見学ができて良かったです。

愛知県は昔の建物が少ないと言われてますが、移築復原して正解だったのではないでしょうか。

岡崎市大河ドラマにむけて、盛り上がっていますが、ぜひぜひ本多忠次邸もおすすめできます。

↑旧本多忠次邸の案内もオシャレ。